社会人のサッカーチームに所属し、北海道リーグでプレーをしていた山本さんは、41歳で現役引退を表明する。
しかし、これまで全身全霊をかけてきたサッカーを辞めてしまうと、どことなく悶々とするというか、「やったサッカーは見るもんじゃなく、やるもんだ」という思いが強くなる。
ちょうどその頃に再会したのが、仙台大学時代の後輩で、Jリーガーとしてプロでも活躍した伊藤壇さんだ。
2014年の秋口、当時の伊藤さんはアジアのプロサッカーリーグで活躍しており、彼がラオスでのリーグ戦が終わって帰国してたタイミングで顔を合わせた。
再びプロサッカー選手をめざして
伊藤壇さんはアジア22ヶ国でプレーし、「アジアの渡り鳥」の異名を持つ、元プロサッカー選手だ。
詳細はこちら。
伊藤 壇(いとう だん)
北海道札幌市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、クラーク記念国際高等学校サッカー部監督。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
日本、オーストラリア、ベトナム、香港、タイ、マレーシア、ブルネイ、モルディブ、マカオ、インド、ミャンマー、ネパール、カンボジア、フィリピン、モンゴル、ラオス、ブータン、スリランカ、東ティモール、グアム、サイパンの22の国・地域のリーグでプレーした。
出典:wikipedia
山本さんが現役引退をし、悶々としていた時期に伊藤さんがちょうど日本に戻ってきていて、「一緒にボール蹴ろうよ」とお誘いがかかる。
伊藤壇さんに誘われ、チャレンジャスアジアへ。「スイッチ」が入る
その再会したとき伊藤さんが、自身が立ち上げた「チャレンジャス・アジア」のこと山本さんに話す。
いわく、「タイのバンコクで、契約が切れたアジアにいる日本人のプロ選手たちを集めて練習しようってなってて、今年から始めるんだ」と。
チャレンジャス・アジアとは
アジアでの豊富なプロ経験を持つ伊藤壇さんが、アジアでプロになりたい選手をサポートする取り組みで、「プロ経験がなく代理人が付いてくれない」「経歴がなくトライアルすら受けれない」「現地でのコンディション調整の場がない」といったニーズに応え、トレーニング、フレンドリーマッチなどを行う。
現在は「チャレンジャス」として、サッカースクールを展開している。
【チャレンジャス公式サイト】
「12月にバンコクで東南アジアにいる日本人のプロ選手を集めて練習するんだけど、真也さんもリタイアしたかもしんないけど来てみない?」とかって言われて、そのときにチャレンジャス・アジアに誘われたんですよ。
でもそのときって、山本さんは引退して、練習とかもしてかなったんですよね?
そうなですけど、まあ壇が言うことだからと思って、仕事が冬休み中だったっていうのもあるから、ちょっと行ってみようかと思って。
「あー、じゃあ行くわ」って言って飛行機の券取って、その年末にやるやつに行ったんです。
誘われるままに、バンコクに行っちゃったんですね。
そこで完全にスイッチが入りました。
バンコクでの元Jリーガーたちとの交流を通じ、刺激を受ける
チャレンジャス・アジアに行ってみると、周りは元Jリーガーばかり。
中には日本代表経験者の選手もいた。
20代の選手が中心で、上は30代前半くらいまでで、40代の山本さんは明らかに浮いた存在だった。
トレーニング混ぜてもらったら流石に全く手も足も出ない…。
さっきまでプロやった人らですもんね。
だから手も足も出なかったし、他の選手の技術とかそういうのに驚いたのもあるけど、それよりもサッカー上手いやつって人間的にできてるっていうか。
誠実に向き合ってくれて、一緒にトレーニング付き合ってくれて、一緒にゲーム出たりとかしてて。
同じ立場の人間として、受け入れてくれたんですね。
みんなで飯食ってる時とかに、真顔で「真也さんいくつっすか?」って言われて「41だよ」とかって話してたら、「いや、まだまだいけますよね」とか言われて、「いやいや、いけないよね(笑)」って。
明らかにお世辞だなと思ったし、すごい話合わせてくれるなと思ったけど、「いやそういうことじゃなくて。年齢とか関係ないっすよ、やるかやらないか自分次第なんで」っていうのが一人だけじゃなくてみんな同じようなことを言ってくれて。
なかなか熱い感じですね。
はい。まさかそんな話はないよなって勘違いのしようもないって思ってたけど、そういう風に周りのみんなは言ってくれて、日本に帰ってきてからも(チャレンジャス・アジアの仲間から)連絡とかすごい来て。
「今のこのオフのシーズンがトライアルのシーズンだから、壇さんにお願いしてトライアルのチーム探してもらって、今からでも行った方がいいよ」ってみんな言ってくれて。そしたらやっぱちょっと勘違いしますよね。
チャレンジャス・アジアの拠点となっていたバンコクには、常時20~30人くらいの選手が集まっていた。
伊藤壇さんのネットワークを頼って集まってきているのもあるし、「今この国のどこどこのクラブが、このポジションの選手を探している」といった感じで、各選手が自分がプレーしていた国の情報などをシェアし合う場としても機能していた。
そして、トライアルに行くチームが決まればその国に飛び立ち、また別の選手が合流して、といった感じで、流動的にいろいろな選手が行き来していた。
山本さんが滞在したのは1週間。
いっしょに練習をした周りの選手たちから熱い言葉をかけられ、まんざらじゃない気持ちになった一方、帰りの飛行機では「いいことは言ってもらったけど、現実は厳しいな」と自分の境遇に冷静な目を向けつつ、帰国の途につく。
伊藤壇さんの熱い思いに後押しされ、学校教員を辞めてプロをめざすことを決意
「現実は厳しい」というのはまさにその通りで、年齢的なこともあるし、ケガをしたこともあるし、何より1年間のインターバルがある。
そして、いったんトレーニングをやめると一気に衰えが加速し、そのことは山本さん自身が一番わかっていた。
だけど、バンコクに行ってスイッチが入ったのも事実で、自分と真剣に向き合ってくれた多くの選手たちのように「100%サッカーに向き合いたい」「プロのピッチをめざしたい」という気持が大きくなり、まずは身体を動かさないと始まらないと、トレーニングを始める。
基本的には一人での自主練習で、たまに知り合いのチームに混ぜてもらって練習をしたりしていたが、チーム関係者には現役復帰のことは伝えなかった。
で、自分の中で復帰をめざして練習を再開させたわけですけど、トレーニング代わりに参加したフットサルをやっている時に、逆の足の前十字靭帯を切ったんですよ。
前に右の同じところやって、今度は左で、これはもう流石にダメだなと思って諦めようと思ってたんですけど、そこにブータンのリーグが終わった(伊藤)壇がお見舞いに来てくれて、ストレッチポールとか練習着とかをいっぱい持ってきてくれて。
諦めずに、復帰してくださいねみたいなメッセージのこもったお見舞い品ですね。
はい。壇が帰ってきてからの第一声が「この怪我っていつ治るの?」で。
「いやあ、早くても半年はできないよね。こっちの時(右足)も1年はかかったよ」って話してて。「じゃあ、リハビリちゃんとしてトレーニングしたらどっかの国のトライアル行けるよね」って言いだして。
めちゃポジティブですけど、普通は「え?」ってなりますよね。
そうですね。え?と思って、「流石にできないしょ」って言ってたけど、「いやいや、だって行くためにトレーニングして怪我したんでしょ。じゃあ治ったら行こうよ」ってなって、そのためにお見舞い来たって言ってくれて。
「俺はまたブータンに戻らなきゃいけないから」って壇が言って、「だから俺が次に戻ってくるときにはもう走れるようになったりとか、俺と一緒にボール蹴れるといいね」って言ってくれたんですよね。だからそれで、これはやんなきゃダメだなって。
伊藤さんに激励され、再度の復帰をめざすことを決意した山本さんだったが、ケガがケガだし、年齢も年齢だし、と思ったりしたけど、その伊藤さんの言葉を励みに、厳しいリハビリに取り組んだ。
曰く、「壇が戻ってくるまでに、ちょっとでも球を蹴れるようになったらいいな」と思い、日々を過ごす。
ケガをしたのが2015年2月で、リーグ戦が終わって秋口くら壇が帰ってきたのかな。そのときはリハビリもだいぶ進んでて、ボールを蹴れるくらいにはなってましたね。
で、(伊藤壇さんが)帰ってきて一緒に練習してくれたりとか、フットサルやりに行ったりとかしてて。
そのときも当然伊藤さんは、プロめざしてがんばりましょうね!みたいな感じなんですよね?
そうですね。壇からは「これからちょうどトライアルのシーズンになるけど、チーム探すから行くよね」って言われて。
教員もずっと続けてたし、教員でもそれなりに年齢も上がってたんで立場的な仕事もしてたし、夢はあるけど、実際はどうなのかなって考えたりもしました。
たしかに、ケガのことはさておき、独り身だったり20代とかだったりしたらそう迷わずにチャレンジできると思うんですけど、山本さんの場合、学校の先生という安定した職があって、ご家族もいらっる状況ですもんね。
ただ、壇のその言葉を聞いて「本気でチーム探そうとしてくれてるんだな」って思って。で、ある時決意をして、これは学校休職とか片手間にやることじゃないなって。
だったら教員の仕事をもう辞めてしまって、後がない状態でトライアルに行った方が絶対にいいなって思って。その年の11月に、すぐ校長先生のとこに行って「僕もう辞めます」って。
すごい決断だと思うんですけど、校長先生はもとより、ご家族の方の驚かれたんじゃないですか。
実は家族には相談せずに決めました。誰にこの話をしても「えぇ」って言われますけど、自分の人生なんで。だから自分の人生は自分でしか。
家族がいても、それぞれに人生があるわけで、そこは助言はできるかもしれないし、意見も求められたら何かできるかもしれないけど、それもその人の人生だからっていうことだと思います。
なるほど。でも、仕事はきちんと言わないとダメだから、校長先生のところに行かれたと。
いつ辞めますか?って確認されたときに、11月いっぱいで辞めますって。それはできませんって言われたけど。
その時はちゃんと言ったんですか? プロサッカー選手になるからって。
うん、なりたいからって。それは決まってるの?って言うから、いやこれからテスト受けに行くんですって言って。
でも、その時点ではトライアルを受けられるチームがあるかどうかもわからない状態ですよね。
はい。だからもし辞めても、(トライアルの)テスト受けに行けず、ただ辞めただけで終わった可能性だってあったわけです。
でもやっぱり中途半端なのはいけないなって思って。
その後、校長先生らの賛同も得られ、もろもろの調整をしていただいた結果、11月での退職が認められた。
同じ頃、伊藤壇さんの次の移籍先が決まり、彼が日本を飛び立つ前日にLINEが入る。「トライアル受けれるチームが1つ決まったから、すぐに行ってくれって」と。
それがカンボジアだった。
カンボジアでトライアルに参加する日々
紹介されたのは伊藤壇さんが以前所属していたチームで、その元同僚がそのときにチームの強化担当を担っており、「日本人のこういう選手を探している」という条件が当てはまったことから、山本さんに声がかかった。
ただし、年齢は別として。
年齢のことがあったのであれですけど、現地に行ってみて、サッカーのレベル的に「もしかしたら」と思いながらやってましたけど、外国人選手枠の問題があって。
日本のプロ野球といっしょで、海外の選手は助っ人みたいな感じで、1チームに何人までとか制限があるってことですよね。
そうです。カンボジアが外国人選手枠が3のアジア人枠が1の4人なんですよ。だからここの4人に入れるかっていうトライアルだったんで。
んで、いい話は聞きました。サインはしてくれなかったけど。
あ、そのときはダメだったんですね。
ダメでした。ダメでしたっていうか、トライアル受けてる途中でチームが急に解散になりました。
プロチームなんですけど、別のチームと統合になって、無くなっちゃったんですよ。
えー。2つのチームが一緒になっちゃんですね。
うん。その最初のチームは(壇の)元チームメイトが強化担当をやってたこともあって、ずっと壇が推してくれてたんですけど、チーム自体がなくなってしまって…。
12月にカンボジアに渡り、チームが解散となったのが12月末。
伊藤壇さんからは、チームがなくなった情報が伝えられるとともに、「トライアルできるチームを明日の朝までに探しておくから、ちょっと待ってて」って言われる。
流石にそれはないだろと思ってたら、ちゃんと朝になったらLINEでメッセージが来て、「こういうチームで受けれることになったから、そこのチームの練習場とアドレス送っておくから、そこに行って」と。
へー、そんなぽんぽん行けるもんなんですね。
いや、普通は行かないんですけど(笑)。
(壇のネットワークをフル活用して)見つけてくれて。
契約寸前まで行くも、契約金の項目が…
結論からいうと、紹介してもらった2チーム目、3チーム目はトライアルを受けたけどダメだった。
で、最後の4チーム目のときに契約書が出てきた。
その際に、山本さんは前日の伊藤壇さんのアドバイスを思い出す。
曰く、「今回のはサインできそうだから、契約書が出てきたら内容は英語で書いてあるけど、一応わかんないなりにちゃんと読んでからサインしてね」と。
その話を思い出して、それで契約書が出てきたときに見てみると、ずーっと英語で書いてあるからちょっとわかんないところもあったけど、「Salary」って給料のところが「0」って書いてあったんですよ。
えぇ~。
そう。で、「ん? ちょっと待てよ?」って。前の日、金額の提示があったことを壇から聞いてたんですよ。でも「0」って書いてあるから。そしたら書類を出してきた秘書が早くサインしてくれって言うけど、「ちょっと待ってくれ」って言って、壇にLINE電話して聞いたら写メしてって言って、写メして送ったら、「それサインしたらダメ」って。
だから昨日の夜から今日の朝で話が変わったって言って。アジアあるあるだけど、実際に起きた。だからサインしちゃダメって。
聞いてる限り無茶苦茶ですけど、アジアではあるあるなんですね。
結局サインできないって言って一回引っ込めたら、「わかったよ、じゃあ昨日言ってた金額で書いて、今日の夕方に契約書持ってくるからそっちの方にサインしてくれ」って言われて、わかったって言ったけど、一回引っ込めた契約書は二度と出なかったです。
対応した秘書が、「ボスに聞いて金額ちゃんと入れて契約書持ってくる」と応対したが、結局その日は出てこなくて、翌日再訪した際もやはり契約書は呈示されなかった。
その後、何週間がたったが事態は進展せず、山本さんが「もう日本に帰る」というと「待ってくれ」と言われ、
- 前期リーグは0円提示
- 後期リーグから呈示の金額を出す
といったことを言われたが、「それは絶対ウソなんで」とのこと。
まあ、アジアではだいたいどこもそんな感じですね。例えば、トライアル行って監督とかオーナーが見てて「うちのチームと契約してくれ」って言ったら、多分その試合終わるまでに契約書が出てきて、でサインする感じです。
そうじゃない場合、大体最初からサインする気はない。
逆にいうと、そういう場合でも契約をチラつかせてくる場合があるんですね。
保険を作っておくみたいな感じですね。
本当に欲しいのは、アフリカ人とかナイジェリア人とかの屈強で、速くて、デカくて、強いやつが欲しかったりとか、ストライカーが欲しかったりっていうのが(本音で)。
なるほど、そういうことなんですね。
カンボジアには約3カ月滞在し、2016年の3月に日本に帰る。
現地は亜熱帯の気候で、体力的にもかなり消耗し、帰国する頃にはサッカーができるようなコンディションではなくなっていたところへ持ってきて、契約問題で気力的にも落ち込んでいた。
つまり、心身ともに疲弊した状態で帰国の途についた感じだった。
もう無理と思っていた自分に発せられた伊藤壇さんの言葉
実はカンボジアでトライアルを受けているときに肉離れを起こし、途中からその状態でずっとプレーを続けていた。
日本に戻ってきた頃には普通に歩くのも困難な感じになっていて、流石にもうできないなと自分でも感じた。
ただ、現地で契約を勝ち取れなかったのは実力不足だったからで、その点に関しては伊藤壇さんに山本さんは謝った。
「40歳を超えてトライアルから受かる可能性すら1、2%あるかどうかなのに、何チームも紹介してもらったけど、実力不足でサインできなくてごめん」と。
そしたら、壇は「いやいやいや、よく頑張ったよ」って。まあアジアサッカー界(の悪しき習慣)に巻き込まれたねって。で、「怪我したんでしょ?」って言うからちょっと歩くのもきついなって言ったら、「まずはちょっと休もうよ」って言って。
その次に言ったのが、「怪我の治りかけでもいいから、俺も今ちょっと怪我してるから一緒にリハビリして、またトレーニングして次の国ちょっとめざそうよ」って言って。「えぇっ!?」って。
伊藤さんもクレイジーというかポジティブというか、なかなかすごい(笑)。
できた後輩なんですよ(笑)。
僕が大学4年のとき、アフターでトレーニングを一緒にやってたんです。で、壇がベガルタ仙台を退団したときに、「また次めざすんだけど、トレーニングもしたいし試合にも出たいから真也さんのチームに入れてもらいたい」って言ってきたことがあって。
それが北海道の社会人チームですね。
そうです。大歓迎だけど、中途半端なことを同じようにやったら、レベルの下がる北海道のリーグかもしれないけどお前は試合には出れない。
だからそういう生活サイドをしっかりすることと、サッカーに真摯に取り組むっていうのが条件ならいいよって。
大学時代とは別に、そういうご縁があったんですね。
はい。だからそのとき、1シーズンだけ一緒に北海道でプレーしてるんですよ。彼はそこを皮切りに海外に出て、そっから22か国行ったわけなんですけど。
そういう自分の過去とかもあるし、僕の場合は失敗っていうよりは実力不足だったけど、彼が言うに「留年が1度や2度あっただけで、人生諦めちゃったらいけないし」みたいな。
そんな風に山本さんを鼓舞する伊藤壇さんの言葉はさらに続く。
いわく、
- 俺も実際そういうこと(=不意にプロ球団を退団することになり再起をめざした)があったから、やっぱり一回めざしたなら最後までやろうよ
- 俺もできる限りサポートする
とどこまでもポジティブだ。
山本さん自身はケガのこともあるし、「現実は厳しいから、40越えのおっさんにトライアルを受けてオッケーっていうチームはほぼ無いと思って」いた。
「だけどケガが治ったら探そう」と何度も言ってくれる伊藤さんに後押しされるように、リハビリを再開させる。
本格的に練習を再開させるのはその年の後半くらいですか?
いや、4月。まだ足は痛かったけど、壇も怪我してたんで、一緒に練習したりとかしながら。
あ、もう4月には動かれてたんですね。で、その次にモンゴルに行かれるんですよね。
そうです。それも4月で。(カンボジアから)帰ってきて、1か月くらいはずっと足が痛かったけど少しずつ走れるようになって、トレーニングしてたわけですけど、その4月の末ぐらいに夜中に急に壇から連絡来て。
その一本の電話が山本さんの人生を大きく帰ることになる。
続きは、第4話で。
山本さんの半生part4に続く。
コメント