アートやデザイン、ファッションに憧れ大阪へ。体育会系全開の寮生活を過ごした大芸時代

メーカーのサービスエンジニアとして保守メンテナンスなどの仕事に携わりながら、大学時代から取り組み始めた絵画の作品づくりも続けているという田岡さん。

現在は兵庫県神戸市の和田岬在住で、以前当サイトでインタビューをした

という、いずれも関東から和田岬に移り住んだお二人の記事を読んで、ご連絡をいただいた感じでインタビューを行う流れとなりました。

目次

アートに出会い、大阪に出てくるまで

田岡さんが絵画に興味をもったのは高校2年生のとき。

クラスに美大の予備校でデザインを学んでいる女の子がいて、当時絵には特別興味はなかったが、その子についていく感じで、なんとなく画塾に足を運んだ。


行くと玉ねぎを手渡され、デッサンをすることに。

田岡さん

で、描いたら面白くなって、明日から来ますみたいな感じになって。

都会にあこがれた香川時代

地元は香川県で、金刀比羅宮の麓の町で育った。

こんぴらさんには、

  • 伊藤若冲
  • 円山応挙
  • 高橋由一

といった名だたる画家たちの作品があったりするのだが、当時の田岡さんは絵画にまったく興味がなかった。

田岡さん

唯一あったのは、香川の中では都会の「高松への憧れ」みたいな(笑)。

地元はほんと田舎なので、服屋さんとかもなかったし、なんとなく高松へ行きたいなみたいな。

なかがわ

地元から高松まではどのくらいの距離だったんですか?

田岡さん

「ことでん」(高松琴平電気鉄道)という二両編成の電車で、約1時間です。

運賃も片道600円以上かかったりして、高校生にはそこそこハードルが高かった感じで…。

なかがわ

ファンション雑誌とかは普通に買えるから、掲載されてる服とか売ってる都会に憧れて。

田岡さん

そんな感じです。当時だとアメカジが流行ってて、雑誌でいうと「smart」とか「Boon」「メンズノンノン」とかが全盛の頃で。

そういうの読んで、高松とか、大阪とかに憧れてました(笑)。

ファッションやアートに関心をもち、大阪芸術大学へ

同じ頃、イッセイミヤケがゲストアーティストといって、現代アートの作家などとコラボレーションするプロジェクトを展開していた。

村上隆の目玉柄を取り入れたジャケットやTシャツを作ったり、竹村延和がショーの音楽を担当していたり、そのアート×ファッションの取り組みに田岡さんは感心を持つ。

田岡さん

ファッションからアートを知るみたいな流れになって、デザイナーとか現代美術家とかってなんだかわからないけど、そういう人になってみたいなと思うようになって。

なかがわ

それが高2、高3の頃で、大学も自然とアート系になった感じで?

田岡さん

そうですね。デッサンとかもしてたし、漠然とですけど、絵とかで大学に行けたらいいなと。

なかがわ

それで大芸に行かれるわけですね。



高校卒業後、大阪芸術大学の美術学科に進学する。

デザインをやりたかったが、通っていた地元の画塾の先生に、「発想が昭和過ぎるからデザインは無理や」と決めつけられ、油絵を学んでいた流れで美術学科に進んだ。

田岡さん

その画塾の先生が、油絵の道具一式買わせたかっただけだと思うんですけど(笑)

まあでも、割と言われたことにはあまり抗わないような性格だったので、それだったら美術学科受けますみたいな。

なかがわ

で、大芸の美術学科で油絵を学ばれると。

田岡さん

はい。田舎から憧れの大阪に出てきたわけですけど、大学のある南河内はけっこう周り田んぼばっかりで、あんま地元と変わらなかった(笑)

なかがわ

たしかに。あの辺はけっこう田舎ですよね(笑)

体育会系全開の寮で4年間過ごすした大芸時代

▲ 大阪芸術大学での4年間を過ごした寮のキッチンで

進学を機に大阪に出てきたわけだが、住居は大学の近くにある学生寮に入った。

理由は安かったからで、家賃は12,000円。

魅力的な料金設定だが、ここの寮がめちゃくちゃだった。

田岡さん

牢屋みたいな男10数人の共同生活だったんですけど、しかもすごい体育会系でした…。

入った時からもういきなり新歓みたいなものが開催されて、タライで日本酒一気飲みしろみたいな感じで。

なかがわ

体育会系ですね(笑)

田岡さん

お酒飲んだことないから気失う感じになるんですけど、先輩が喉まで指入れてすぐ吐かしてはくれるんですけど、アルコール残ってるんでそのままぶっ倒れるみたいな。

なかがわ

今だったらいろいろ大問題になるけど、まあ、当時はそういうのも普通にありましたよね。


上の話だけを聞くと、先輩たちに無茶苦茶されたような感じだが(実際、無茶苦茶にされてるけど)、田岡さんがその寮に入った時は、めちゃくちゃ歓迎された。

なぜなら、そのときに新たに入ってきたのは田岡さんだけで、「貴重な新入生」ということで、先輩たちから良くも悪くもすごく可愛がられた。


ちなみに、寮と部屋の仕様は以下のような感じだった。

・6畳一間で窓がひとつの部屋
・2階建てのモルタルづくり
・各階、10部屋の合計20部屋
・風呂、トイレは共同
・鍵は風呂も部屋も全部おんなじ

貧乏学生が生活を送る一昔前のアパートのような住まいをイメージするのが近いかもしれないが、なかなか劣悪な環境だった。

田岡さん

似たような学生寮が近くにいくつかあったんですけど、ほんと下宿の人は二分化してたんですよ。

なかがわ

仕送りとかもちゃんとあって、オートロックとか付いてるマンションに住んでいる学生と、田岡さんが暮していた学生寮に住んでいた人たちみたいな。

田岡さん

そんな感じで。僕の住んでいたところは典型的な「貧乏な人がいっぱい集まるようなところ」で、近所にボロボロの「スーパーマツイ」っていうところがあったんですけど、みんなペット用の餌スジですね、餌用のスジ肉と大根をセットで買ったりして。

なかがわ

それを自分たちで食べると(笑)

田岡さん

そうです。店員さんにも、「こいつ絶対食うやん」って思われたりしてたと思います(笑)。

タトゥーの彫り師をしていた先輩

▲ 寮生活の中ではいろいろ無茶苦茶なことが行われた

部屋は合計20と紹介したが、住んでいる学生は20人ではなかった。

それは空室があって満室ではなかったからという理由ではなく、一人の学生が二部屋借りていたりしたからだ。

田岡さん

二部屋目が1万円とか言うちょっとわけわからないルールがあって、実際に借りてる先輩がいて。

なかがわ

一部屋12,000円だから、二部屋で22,000円

田岡さん

そうです。で、卒業されてるウッチーさんっていう先輩がいて、その方が入れ墨スタジオにしてるんですね、そのもう一つの部屋を。

なかがわ

あ、卒業してからも勝手に借りてるみたいなこと?

田岡さん

そうです、そうです。なんかタトゥーしてる人(お客さん)がいっぱい出入りするような。

なかがわ

なるほど。一部屋を店舗にして、もう一部屋が住まいと。

田岡さん

はい。で、共同の台所で(先輩たちが)毎日酒飲んでて、学校も行きませんし。寮の前の駐車スペースには、先輩たちのいかついバイクがいっぱい停まってるし。

想像してた芸大とイメージのギャップが(笑)。


さらにいうと、プライベートもない。

いや、個室があるじゃないって話だが、部屋の鍵が「ハンガーでガーッてやったら開いてしまうような昔の鍵」(田岡さん談)で、部屋にも勝手に入られる。

なかがわ

あ、じゃあ、先輩が勝手に部屋にいたりすることもあるんですね。

田岡さん

普通にある感じで、僕がいない間に、冷蔵庫の牛乳とかも普通に飲まれますから。


しかし、人間という生物はなんにでも慣れてしまう。

そんな無茶苦茶な生活に、最初はおっかなびっくりの日々を過ごしていた田岡さんだったが、3カ月もすればそういう生活がデフォルトになってしまい、日常化されてしまった。

それで一安心なのかというとそういうわけじゃなくて、そんなデタラメな生活が普通になる=普通の生活が普通じゃなくなるということで、すなわち大学にはきちんと通ていたのかという問題が発生してくる。

田岡さん

実際に7年、8年、通ってる先輩が普通にいました。僕は唯一、ダブらなかったですね。

なかがわ

田岡さんは、大学は一応成り立ってたんですね、そういう意味では。

田岡さん

そうですね、そこに居ながらも割と制御ができてた感じはあって、ストレートに卒業はしてますね。

▲ 寮の駐車場には、先輩たちの愛車である「いかつい感じのバンク」が多数並んでいた


余談だが、自分の生活している共同住宅のすぐそばでタトゥーの彫師がいたという話を聞いて、以前住んでいたマンションのことを思い出した。

(ワンフロア二戸の分譲マンションで、ファミリー層が住んでいると聞いたんで引っ越し早々にケーキを持ってご挨拶に伺ったら、ドスの効いた声の強面のお兄さんが出てきて、部屋の様子もなんだか変な感じだなと思ったらタトゥーのお店を経営してたみたいな)

その顛末を以前noteにまとめたので、興味のある方はご覧ください。

note(ノート)
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大学1年生のときにCMのモデルに抜擢される!?

舞台芸術学科に在籍していた先輩に誘われ、CMのオーディションを受けたことがあった。

興味本位でついて行くこととなり、自身もエントリーしたわけだが、会場につくといきなり裸にさせられた。

田岡さん

筋肉を見せるオーディションみたいな感じだったんですよ。

全然筋肉ないんですけど裸にされて、「強力浄水命イノキのツインっていうのを全力で表現してください」って言われて、で「強力浄水命イノキのツイン~」っていうのを全力で表現して、おつかれさまでしたみたいな感じで家帰って。

なかがわ

それって大芸関係なく、いろんなところからオーディションに来てたんですか?

田岡さん

もう全然関係ないところからも来てて、そこそこ倍率は高かったと思います。誘ってくれた先輩は落ちましたし。

で、2週間後くらいに電話がかかってきて、受かりましたよみたいな感じになって、アントニオ猪木さんと共演できるっていうふうになったっていう。

なかがわ

「猪木と共演」ってだけで激アツですね!


浄水器メーカーのCMで、会社のトレーナーを来て、朝から一日かけて撮影を行った。

メインキャストのアントニオ猪木さんも最初からいて、一日いっしょに過ごした。

なかがわ

「闘魂注入」されたんですか?

田岡さん

ビンタして欲しいですみたいな話をしたら、「ビンタしてほしいです」って喋ってる途中で、腹バンって思いっきり殴られて。

んで、うわーってなってる時に、ビンタしてもらって。

なかがわ

むちゃくちゃやなあいつ(笑)

田岡さん

わけわからないですけど、ありがとうございますって(笑)。

普通に痛かったですけど、すごいうれしかったの覚えてますね。

アルバイトをきっかけにアート関係の仕事に関わり、初の個展も

そのCM撮影があったのが大学1年生のころ。

ちょっと自分がアクションすると何かが起きるっていう都会の面白さとか、そういうのを学生の時に感じ」て、何がやりたいのかはわからないが、「何か目立ちたい」という思考が大きくなっていく。


具体的には、画家とかイラストレーターとかになりたい!と思ったが、どうすればなれるのかよくわからなかった。

その足掛かりとして、南堀江(大阪市)のギャラリーで働き出す。

同ギャラリーを経営する社長さんがもともと美術家で、貸しビル業もやっていた。そのなかで、

  • 古いビルの空きテナントの清掃を美術家や学生などに依頼
  • リニューアルされたテナントはアトリエやギャラリーなどとして活用
  • 学生目線でいうと、労働(清掃)の対価として、その場所を制作や発表の場として活用できる

といったプロジェクトに関わっていった。


▲ 学生時代、学外のプロジェクトに参加し、アトリエで絵を描く田岡さん

もともとは若い女性クリエーターの集まりからプロジェクトが始まり、クリエーター主体でギャラリーの運営がなされ、そこからは写真家として現在有名になられている澤田知子氏や、『美術手帖』などの雑誌に出るような人たちが輩出された。

なかがわ

そういうことをしている会社が運営しているギャラリーやプロジェクトがあるから、働いたらチャンスあるみたいな。

田岡さん

そうですね。ギャラリーの仕事だけじゃなく、実際に行ってみたら大阪府の収蔵品の展示のアルバイトのようなものだったりとか、会社が持っていたBarの運営とか。

割とアート界隈の人たちとの関わりみたいなのができてきて、学校で何かをやるより心斎橋とか行ってそういうところとつながった方が面白いなっていうのがあって。

なかがわ

それが大学何年生のときですか?

田岡さん

3年生のときです。で、天保山に築港赤レンガ倉庫っていう倉庫があるんですけど、そこをリノベーションしてアートスペースにするみたいな活動を大阪市が始めるってなって、そこに若干噛んでいくみたいな話になってアトリエを天保山に借りるみたいな流れになったんですよ。

なかがわ

そんな感じで、作品を発表する場も少しずつできてきたみたいな。

田岡さん

はい。同じ頃に、丼池(どぶいけ)筋に当時ギルドギャラリーっていうギャラリーがあって、そこで初めて個展をやらせてもらいました。

ぜんぜん作品は売れませんでしたけど、とにかく絵を作って売って行ったら生活できるのかなって、ぼんやり思ったりして。

就活はしておらず、なしくずし的にバイト先に就職

大学を卒業すると定職に就くという流れになるわけだが、就活はやっておらず、

なしくずし的にバイト先だったギャラリーを運営する会社に就職をする。

田岡さん

1年のときに猪木さんのCM出たじゃないですか。テレビCM2本くらい撮って、けっこう流れてたんですよ。

半年間くらい流れてて、初めて誘ってもらってチャレンジしたことで、するっとうまいこと行ってしまって、テレビつけたら自分も出てるし。

なかがわ

行けんちゃうんみたいな。笑

田岡さん

そうです(笑)。で、雑誌とかにも広告で載ってるし。

目の前の自分以外のところで自分が存在してて、みたいなのがすごい、何て言うんですかね、気持ちよさじゃないですけどそういうのを覚えて。

なかがわ

ちょっと調子にのるというか、なまけてしまうみたいな。

田岡さん

はい。なんか初め上手いこと行ってしまったもんやから、割となまけ癖みたいなものが付いてたりとか、何やっても上手いこと行くやろみたいな、なんかちょっとそういう感覚に多分なってて、就活も何もせずに。


というわけで、まじめに就職活動をすることもなく、在学中からつながりのあったバイト先の会社に就職。

しかし、ここでの仕事がなかなか強烈というか、劣悪な感じの環境だった。

田岡さんの半生part2に続く。

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