自分が「ここ!」と思ったお店に就職し、クレープ職人としての腕を磨く。
そんな目標をもって大学卒業後に大阪にやってきたモモカさん。
就職をしたのは阪急三番街にある有名店で、毎日行列ができるような大人気のクレープ店だった。
入社3か月で梅田の大人気クレープ店の店長に!

今まで働いていた宮城のアルバイト先とは忙しさが全然違った。
けど、モモカさんが就職した2021年4月はまさに新型コロナウィルスの感染拡大が広がっていくときで、その4月末に緊急事態宣言が出される。
なので、研修期間の時期はけっこうヒマだったんだけど、コロナがちょっと落ち着いてきた夏ごろ、いきなり社長から店長を任命される。

大抜擢じゃないですか。



社長に面談されて、店長やってみない?みたいな。
でも、いろいろ問題もあって。もともとの店長が30代の男性の方だったんですけど、私が入った直後に諸事情でお店を辞められてしまって。



わー、そうなんですね。店長さん以外にも社員の方はいらっしゃんたんですか?



他に4人いらっしゃったんですよ。ただ。その後、各々「違うことに挑戦したい」ということで、順次辞めていかれることになるんですよ。


実際に、店長さんが辞め、モモカさんが後を引き継いだ直後に、他の社員の方たちもみなさんお店を辞められた(アルバイトの人数は約20人)。
入って3カ月目の自分が、クレープづくりのことはもちろん、発注や月末処理などの店長業務をすべてこなさなくてはいけなくなる。



いきなり大変なことになりましたね。



はい。まあ、でも何とか、かなりポジティブなので私が。



逆転の発想で、上の人が誰もいなくなって、自由にできる!みたいな。



自分の好きなようにできる!みたいな(笑)
お店で直し方がいいなと思ったところとかもあったんで。
百貨店の坪単価売上1位を獲得!


実際に自身が店長になってから、「変えるべきところ」を洗い出し、一つひとつ変革していった。
例えばそれは、
- キッチンの掃除のやり方
- 賄いのルール化(無尽蔵に食べてる人がいたりした)
- 接客やオペレーションの改善
- メニューのリニューアル
など、接客対応はもちろん、商品の原価かすべて計算し直し、改善できるところは細かいところまで見直し、ルールを変更していった。



結果として、売り上げ増につながっていったんですか?



売り上げは、まあ当時はコロナだったので増えたとかはなんですけど。
辞めるときは、百貨店の「坪単価売上」みたいなのが出るんですけど、それで1位でした。



へぇー。



あと、抜き打ちみたいなので「接客点数」みたいなの付けられるんですよ、1年に1回。
それで私が店長になる前までは、あまり成績がよくなったんですけど、私が辞める時は平均80点以上の接客点数をいただいていました。



接客も良くなったし、それに伴って売上もあがっていったと。



あとは、保健所の衛生点検も定期的に入るんですけど、これまであまりよくなかったのをいつも満点近く取れるようになりました。
(清掃担当者の)ハンコ一個押し忘れで、98点、とか。
コロナ禍には日持ちのする材料を採用するなど、メニューをリニューアル


モモカさんが店長に就任直後は当時の社員さんたちがみんな辞めてしまい、いろいろと大変だったが、その後に新しい社員が入り、オペレーションなども改め、少しずつ店の運営をよくしていった。
アルバイトの人たちとのコミュニケーションも意識し、グループラインなどでの情報共有をはじめ、「いつもありがとう!」といった感謝の気持ちを伝えることも心掛けた。



あとは、店長になったタイミングで、メニューをリニューアルしました。
コロナが流行ってたから、「これだと廃棄になっちゃうからこれはやめてこのメニューするのどうですか?」とか社長に相談して。



極力長持ちする素材を使ったり。



通常だとお客さんがたくさん来るので、賞味期限3日とかのムースとかでも問題ないんですけど、コロナ禍だと売れ残って廃棄処分になるんですよ。
だから、ムースじゃなくて違うイチゴのクレープ考えたり。



なるほど。そのコロナ禍で時間があるときは、新作考えたり、クレープの練習してたりしたんですか?



練習もしてましたけど、掃除してました、めっちゃ。
接客とオペレーションの大改革


そうしたお店の改革もあり、コロナが落ち着いてくるとお客さんは以前よりたくさん来てくれるように。
売上も、先ほど百貨店の「坪単価売上」1位を記録したことを紹介したが、「もうあり得ないくらい上がりました」とのこと。
その要因である「接客やオペレーションの改善」について、もう少し深く訊いてみた。



入った時に感じたのがオペレーションの悪さで、各作業の効率が悪いなと感じてたんですよ。
バイトの子たちもすごく頑張ってくれてたけど、頑張りを間違えているというか、オペレーションが良くないから、うまく機能してないみたいな。



じゃあ、味うんぬんじゃなくて、それぞれの動きや連携、接客のやり方とかを一つひとつ改めていった感じだったんですね。



味はもう最初から文句言えないくらい美味しかったので、これを守ってれば絶対間違いないと思っていました。
だったらお店を良くする方向、自分ができることはそっち(=掃除の徹底、接客やオペレーションの改革)かなって。



なるほど。接客に関しても、徹底してアルバイトの子たちに指導したんですか?



接客は、(笑顔で丁寧な応対を)自分がまずやる。そしたら新しく入ってきた人は大体そうなっていくので。
あとは、オーダーが溜まっていって、本当に忙しいときはお渡しまで10分以上かかってしまうときがあるんですけど、10分をオーバーしたら「すごくお待たせしました」と誠心誠意、謝るっていうことを徹底しました。
作業の効率化を徹底し、回転率を2倍弱に


オペレーションの具体的な改革としては、
- オーダー票を貼る場所の変更
- 分業化の徹底(この人はこのポジション)
- 作業の効率化のための声かけの工夫
といったことで、これらを実践することで作業効率が格段によくなったという。



(1時間の売上が)前までは35,000円がマックスだったのが6万円くらいになって、ということは2倍近いスピードで提供できるようになった感じで。



6万円ってことはお客さん何人くらい、一人1,000円くらい? 単価で言うと。



一人800円かな?



ということは、単純計算で75人ですね。



めちゃ多いけど、実際めっちゃ忙しかったです(笑)。
新店舗の立ち上げを経験


店長として大活躍したモモカさんだったが、店長に抜擢された3カ月後、その身は名古屋にあった。
名古屋に新店舗が立ち上がることになり、当地に2カ月間滞在し、アルバイトの面接から各業務の指導、オペレーションの策定などを任せられた。
その後も、慌ただしく仕事と修業に邁進し、時系列で記すと…
- 名古屋のプロジェクト終了後、梅田のお店に戻る
- 運営会社がやっているパンケーキの店舗で勉強したいと、神戸元町にある店舗で少し働く
- その後は梅田の店舗の店長として活躍
- 2022年11月に新業態としてドーナツ屋が大阪でオープン。その立ち上げも担当し、当初店長として勤務
- 2023年3月東京の吉祥寺にクレープとドーナツのお店の2店舗をオープン。立ち上げに関わる
といった感じ。



めちゃ濃密な感じですね。



東京には一人で行って、吉祥寺はもうちょっと早く切り上げられると思ったんですけど、めっちゃ忙しかったんですよ、めっちゃ注目されてて。
で、社員の方が辞めちゃったりとかもあって、帰れなくなって。



当初はやっぱ2カ月くらいの予定だったんですか。



はい。で、実はこの少し前に、私は社長にお店を辞めることを伝えていたんですよ。
絶好のテナントを見つけ契約。独立を決意する


モモカさんの夢は、大好きなクレープを提供する自分のお店を持つこと。
その修業期間として3年間を想定し、ここ!というお店を就職したのが、店長を務めていた梅田のお店だった。
そして忙しい日々を過ごしていたが、モモカさんが毎日寝る前にやっていた日課がある。



ネットで店舗を検索してました。お店は3年間修業してからと思ってましたが、あれこれ見るのはやっぱ楽しいし、いい物件ないかなあって。



それは大阪に限らず、地元の仙台とか、東京とかも見てたんですか?



一応、東京とか仙台のテナントも探してて。
で、仙台に帰ろうかなと思ったんですけど、「まずは大阪で勝負して来いって」お父さんに言われて。それで大阪で探してたら、あるときいいのがポッと出てきて。



それが、いまの寺田町の店舗ですね。





JR環状線・寺田町駅北改札から徒歩30秒とか絶好の立地で、大きさ的にも一人でやるのにはちょうどいい感じだったので。
で、社長にも相談して、契約をする前に。「自分が独立するにはちょっと早いかなっていう気持ちもあるけど、ただいいテナントがあったから迷ってる」みたいな。社長は「いいと思うんだったらやった方がいい」って言ってくれて。



「自分が独立するにはちょっと早い」っていうのは、3年の予定が2年になったから、そこが自分でもネックに感じるなと。



はい。でも、すぐに店長を任せてもらったのをはじめ、2年間で新店舗とかも4店舗させてもらったし、従業員とかも100人以上関わったし、業態もいろいろ体験させてもらったし。
だから超ラッキーだなと思って。ただクレープの技術を学びに来たけどそうじゃないことが勉強できたかなって。



そか。濃密な2年間を過ごせたおかげで、1年早くなったけど、クレープの技術的なことも経営的なこともしっかと学べたってことですね。
東京での店舗立ち上げを担当し、退職を延長


社長への相談をして、くだんの寺田町の物件を契約する。
それが2023年1月のことで、「1月30日生まれなんですけど、誕生日来る前に契約したんですよ、テナントを」(本人談)とのこと。
契約した際に同テナントには別のお店が入っていて、そこが2月末まで。
翌月からの契約となり、3月から家賃が発生することになっていたが、その頃モモカさんは東京にいた。
吉祥寺のクレープ屋さんとドーナツ屋さんの立ち上げに奔走していたのだ。



さっきも言ったみたいに、吉祥寺でもいろいろあって、自分の店(のオープン準備)もあるけど離れられないみたいな感じになって。
で、社長に「申し訳ないけど、もうちょっと働いてくれない?」みたいなことを言われて。自分的にも「これで辞めたら吉祥寺ヤバイ」みたいな状況で。



他の社員さんもいなくなってるみたいな状態やし。



それもあるし、このクオリティの状況で引き下がれないみたいな。でも梅田も辞めるって決めてるから、そっちのお店の引継ぎもしないといけないっていう。



そんなカオスな状態だから、社長さんはモモカさんがテナント契約したの知ってたけど、なんとかもう少し働いてくれないかと。



そうなんですよ。一応、一月に社長に相談したときには、3月で辞めるって言ってたんですけどね。



でも、モモカさん的には責任感もあるし、ここで予定通り辞めて、次に行けないみたいな。



はい、辞められる状態じゃないってなってたんで。両親にも相談したんですけど、「ここでやめるのは違うんじゃないか」ってなって。


それで、仕事は継続するけど、契約した自分のお店の家賃は自腹で賄うことに。
社長さんには「吉祥寺が落ち着くまでいます」と社伝え、4月の2週目くらいまで東京に滞在した。
その後、梅田の自分のお店に戻り、超迅速に引き継ぎ作業を行った。



もしテナントが決まってなかったら、多分もう1か月か2か月くらいいたと思うんですけどね。
ただ、吉祥寺のお店には45歳くらいの男の店長が入ってきて、その人がマネージャー経験者で、この人なら任せていいんじゃないかなって。



その人に引き継いでもらって。



発注とか、在庫表とか、誰が見てもわかるようなリストを作って、お店のマニュアルを全部作りました。



そこまでやったんですね。



同じようなのを梅田のお店もつくって、なんとか4月いっぱいで引き継ぎ作業が終わって、円満退社となりました。
やるべきことをやった充実の2年間


濃密な二年間を過ごしたモモカさんだったが、就職した当初の目論見通り、クレープに関する技術は一通り学べた。
それどころか、店舗の立ち上げから全体のマネジメントまでを手がけさせもらい、思ってた以上のことを経験させてもらうことができた。



これ以上何ができるかなって、思ってた時に、たまたま偶然テナントが見つかって。



今のお店でやりきった感はあったし、そのタイミングでめちゃいい物件を発見!みたいな。



で、会社の中の最高売上を自分が辞める3か月か4か月前くらいに達成して、社長も「これすごいよ!」ってめちゃ褒めてくれて。



そういう意味では、自分の満足度的にも、経営的な数字の面からも、やるべきことは達成した感じになって、その意味でも結果論だけど、独立するのにいいタイミングだったかもしれないですね。
というわけで、五月から自分の店の準備を始める。
モモカさんの半生part3に続く


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