文学・政治・歴史的な観点から切腹(と三島由紀夫)を研究テーマに博士論文を執筆中

第一話でメキシコ人のアンドレスさんがスペインの大学院に行き、そこから日本にやってくるまでのお話をした。

二話では、大学院のドクター課程であるアンドレスさんが博士論文のテーマに掲げている「切腹」の研究の話など、ご自身の現在の取り組みについて聞いてみた。


※写真:白石卓也

目次

日本で三島由紀夫や切腹について研究する現在

日本の大学に留学するとかではなく、スペインの大学院に在籍しているけど日本で生活してるってどういうことやんねん、担当教員がOK言うたとしても、どんな感じになってんのん?って思う人もいるでしょう。

僕も思ったんで、そのあたりのことを聞いてみた。

  • Ph.D.(博士課程)の学費は無料(年間で数千円くらいしかかからない)
  • 授業などに出なくてもいいが、毎年2回、研究雑誌に論文を発表する必要がある
  • 同様に、年間で何回か学会での研究発表にも参加(オンライン可)
  • 他の大学院の研究グループへの参加
  • 現在、同課程に4、5年在籍しているが、研究論文が認められないと修了にならない

ってことなんだけど、まずはそのあたりのことをについていろいろ聞いてみた。

博士論文のメインの研究テーマは「戦後の切腹」

上で箇条書した項目を毎年こなし、現在進行形で取り組んでもいる。

例えば、4つ目の「他の大学院での研究グループへの参加」という項目では、「メキシコ日本芸術文化研究常設セミナー」に参加。ワークショップや論文の寄稿などを行っている。

なかがわ

そいで、「切腹」がテーマの博士論文はできそうなの?

アンドレス

まだ完成してない。もうすぐ終わると思ったら、もう終わったけど、まだいろんなInformation書いてるから、もう時間がない。

なかがわ

ようわからんけど、今年の締め切りまでには間に合わないってことかな。けど、三島由紀夫から始まってるけど、テーマが切腹になった時点で文学も飛び越えて、もう文化としてね。

歴史的にも長いし、体系的に追究しようと思ったら大変やんね。

アンドレス

うん。文学とかも調べているけど、一応、メインは戦後の切腹をテーマしている。


「戦後の切腹」って、それこそ三島由紀夫くらいしかないんちゃうん?と思ったりしたけど、本当の切腹だけではなくて、明治以降の文学や映画のなかの切腹なんかも研究対象としているという。

さらにそれらの研究をより深掘りするために、古典にも当たった。

最初に「切腹」が出てくるのは『保元物語』

アンドレスさんによると、日本の書物で最初に切腹が出てくるのが『保元物語』で、源為朝が腹を切るシーンが描かれている。

また、同時代に書かれた『平家物語』にも切腹の場面が出てくるが、『保元』も『平家』も「切腹」という言葉ではなく「腹を切った」と書かれている。

アンドレス

最初に「切腹」の文字が出てくるのは『太平記』。

なかがわ

そうなんや。腹切りシーンの最初が『保元物語』の源為朝で、「切腹」という言葉が初めて登場するのが『太平記』と。勉強になるな。

アンドレス

『太平記』は少し後だけど、3つの作品はだいたい同じ時代に書かれた。『保元』と『平家』は「腹を切る」だけど、なんで『太平記』で「切腹」になった? それ考えるの面白い。

なかがわ

それってさ、切腹を研究テーマにしている日本人の先生っていないんかな? 今言ったようなことを考察してないのかなと思って。

アンドレス

おった。ちょっと前会った、研究者。でも、ようわからんかった。


切腹を取り扱う文学作品や歴史などを調べていくうち、アンドレスさんはあることに気づく。

日本の時代が変わるときに、切腹が増えてくると。

なかがわ

なんとなく、わかる。わかるというか、わからんけど。

アンドレス

わからんけど、わかるよね。

なかがわ

要は明治天皇のときの乃木希典とか、あとは敗戦のときも昭和天皇に殉ずるみたいな感じで切腹した軍人の人とかいてるみたいな。

アンドレス

そう。そういうこと。


歴史で見ると、源氏と平家みたいな負けた方が腹切るとか、上であげた事例のように明治が終わったときに乃木希典が切腹するとか、確かに時代のターニングポイントで切腹が増える。

また、アンドレスさんいくわ、そのような時期に文学作品で取り上げられることもよく見られるようになる。

アンドレス

例えば、森鴎外の『阿部一族』とか。

なかがわ

なるほど。たぶん日本人は終わりの美学というか、ちょっと間違えてるかもしれないんですけど、忠誠心みたいな、大将とともに自分も滅びるみたいな。

アンドレス

その考えは江戸時代から始ったと思う。明治とか昭和とか、近代の人たちも、江戸時代に残ってる(切腹の)文化使ってる。

でも、江戸時代より前、例えば鎌倉で見つけれる切腹と江戸時代の切腹は全然違う。

なかがわ

文化が全然違うと。つまり、白装束を来て、介錯人がおって、みたいな切腹の作法は江戸時代に確立されたってことですね。

アンドレス

そう。でも、鎌倉時代の切腹はそんなことない。文献を読むと、十の形して(=十字に腹を切って)、あと違う人は、これ(=刺す動き)したら介錯。

なかがわ

「これ」っていうのは自分で腹切るんじゃなくて刺されるってこと?

アンドレス

そう。みたいなこと。例えば、楠木正成。正成は兄弟の正成と一緒に自殺した。その二人も最初これして、その後これして。

なかがわ

お互いに刺しあうってこと?

アンドレス

そう。僕はこれして、あなたもここに(とお互いを刺すジェスチャー)。

三島由紀夫が掲げた「国体」の思想

切腹や三島由紀夫についての研究を進めていく中で、アンドレスさんは「国体」という思想に行きあたり、そこから身体性というものに考えを巡らせるようになった。

国体とは

国体(こくたい、國體)とは、国家の状態、くにがらのこと。または、国のあり方、国家の根本体制のこと。あるいは主権の所在によって区別される国家の形態のこと。国体という語は、必ずしも一定の意味を持たないが、国体明徴運動後の1938年当時においては、万世一系の天皇が日本に君臨し、天皇の君徳が天壌無窮に四海を覆い、臣民も天皇の事業を協賛し、義は君臣であれども情は親子のごとく、忠孝一致によって国家の進運を扶持する、日本独自の事実を意味したという。

国体論は、幕末に水戸学によって打ち立てられ、明治憲法と教育勅語により定式化された。国体は、天皇が永久に統治権を総攬する日本独自の国柄という意味をもち、不可侵のものとして国民に畏怖された。

出典:wikipedia


三島由紀夫の国体論はちゃんと読んでなかったんだけど、アンドレスさんいわく三島によれば、

  • 天皇は国体であり、文化とアイデンティティの基盤
  • しかし戦争に負け、天皇が人間宣言をしことで天皇の神聖が瓦解する
  • 国体(天皇)が失われた場合、現代の暴力的な構造(西洋の合理主義)に抵抗するために残された唯一の場所は私たち自身の体
  • 西洋の合理主義の反対である「不合理」というのは切腹で体を破壊すること

だそうである。


きちんと原本を読んでないので正確なことはいえないけど(むかし『文化防衛論』を読んだような記憶もあるけど、書棚いをちょっと見た限りではなかった)、一右翼青年になったつもりで聞くと言っていることは理解できるんだけど、しかし西洋合理主義に抗うための「場」である自身の身体は、「切腹」という自らを破壊する行為でしか本懐を遂げられないのかというか、西洋合理主義に対抗できないのだろうのか?

もしくは、抵抗の最後の砦となる身体を用いた具体的な行動を指し示したりしていたのかもしれないけど、また今度読んでみよう。

なかがわ

切腹から身体性という話を聞いて、荒川修作を思い出したけど、そっち方面の話とはちょっと違う感じかな。

アンドレス

その人は知らない。けど、切腹の研究を進めていったら、その考え方(=国体や身体)が関連すると思った。


ちなみに三島由紀夫は、「男一匹が命をかけて」訴えった例の檄文で、以下のように述べている。

国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来てはじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守ることにしか存しないのである。

出典:大江健三郎と三島由紀夫:「新しい人よ眼ざめよ」から

時代の転換期に頻出する切腹。では、三島の自決で何が変わったのか?

アンドレスさんいくわ、俯瞰的に歴史を見たときに、切腹っていうのは一つの時代が終わったときにけっこう行われてる。

では、自身がもともと興味のあった三島由紀夫の切腹で何が変わったのか?(逆に何の終焉を経て、切腹に至ったのか) それがアンドレスさんの研究の大きなテーマとなっている。

なかがわ

そういう意味では、何も変わってないね。

アンドレス

たぶん何も変わってない。僕のちょっと考えてるのは、そのとき変わるチャンスあった。例えば、安保反対の運動とか、大学生の運動とか、当時みんないっぱいしてた。

でも、そうした運動は70年代にどんどん終わった。その後、日本の経済はめっちゃ成長していって。

なかがわ

確かに。そういう学生運動をはじめとする60年代後半の「政治の季節」の終焉の予兆みたいにはなってる。まだもうちょっと続くけど。

アンドレス

そんな感じ。

政治の季節は1968年をピークに、その後73年のオイルショックで終息する。

それは世界的な出来事で、日本に限ったことではないけど(日本の場合、全共闘の崩壊が大きなトピックだけど)、日本における一つの象徴となったのが三島由紀夫の自死だったのではないかなと。

アンドレス

さっき言ったけど、日本の歴史で、負けた人はこれ(切腹)やってる。

なかがわ

そういう意味では、憲法改正を掲げ、「自衛隊よ、立ち上がれ」って決起した三島由紀夫は、彼が考えていたような行動を自衛隊が起こさなかったってことにおいて負けたわけだけど、でもこの場合、最初から負けることがわかっていたような振る舞いでもある。

アンドレス

ちょっとパフォーマンスみたいになってた。なんであんなことやったんだと考える。

なかがわ

たしかに。でも、一方で、命をかけたパフォーマンスって字義通り命をかけてたわけだけど、実際になかなかそこまでできないやんってのもあるでしょ。

アンドレス

ある。だから、僕は三島由紀夫の研究してるけど、テクスト論だけじゃなくて、Politics(政治的)な側面からもアプローチしたい。


なかがわ

作品だけじゃなく、政治的なことも含めた思想について考察するって観点から言えば、生前つながりのあった人、例えば横尾忠則とか美輪明宏とかの言葉とか、三島について記されたものもにもアプローチしていってもいいかもしれへんね。

あとは文学者だけど、ドナルド・キーンって知ってる?

アンドレス

知ってる。最近死んじゃったけど。

なかがわ

そうそう。怒鳴門鬼韻(ドナルド・キーン)と魅死魔幽鬼夫(みしま・ゆきお)の名前で書簡のやりとりしてて、なんか昔読んだ。

アンドレス

僕も読んだ。アイヴァン・モリスも、たしか死ぬ何週間か前とかに三島に会った。

なかがわ

それで思い出したけど、NHKかなんかのドキュメンタリー観た? 死ぬ1週間前に、生前親しかった人に意味深な挨拶していくやつ。

アンドレス

見た。あと、最近見たの、最近じゃないけど2年前ぐらい映画で見たドキュメンタリーは、三島由紀夫と東大。

なかがわ

東大全共闘と討論するやつね。

まあ、三島がどうしてあのような行動をとったのか、本当のところはよくわかんないけど、一般的によく言われていることをまとめると、

  • 皇軍の一兵卒として戦場に出られなかった負い目(コンプレックス)
  • 「葉隠」の著者のように、華々しく戦場で死ぬ場所を失った喪失感
  • 戦後、それまで絶対的な存在だった天皇が象徴となったことへの衝撃
  • アメリカの属軍としての自衛隊ではなく、天皇の軍隊としての本義の再興を望む


アンドレス

三島由紀夫は日本に住んでたけど、ほんまに三島由紀夫が住んでたところは自分の世界と思う。

なかがわ

そうですね。時代錯誤というか。日本が経済的にどんどん発展している時期だけに、よけいに一般的には響かないというか。

アンドレス

パフォーマンスになってしまったけど、どこまで本気かわからん。そのとき下におった自衛隊が、檄に呼応したらどうしてた? 

でも、たぶん三島由紀夫もみんなフォローしてない(=誰もついてこない)っていうようなこと絶対わかったと思う。 

なかがわ

ね。自決のとこまで想定してたと思うんですよ。


アンドレス

全部準備したと思う。絶対誰もフォローしない。三島由紀夫はそれも知ってたけど、みんなに教えたいと思った。

なかがわ

自分の思想というか、自衛隊よ、今ある姿はまがい物で、本来の姿に戻れよってね。

だから自分が死ぬことによって変わるって期待したかもしれへん。死んだ後に。そういう意味では、アンドレスさんが研究してる「彼が終わったことで何が変わった?」っていうの、何も結局変わってないような、三島が望むようなものには少なくとも変わってないっていう。

アンドレス

そう。僕はまだ論文書いてないけど、今考えてることは、三島由紀夫は、誰も動かないことは理解していた。

誰にも支持されていないから、それ(=三島の思想、アイデア)日本のみんな教えたい。でも、自分は絶対フォローされない。それもOK。あとは自決の予定あるし、それで終わりみたいな。それは僕はパフォーマンスじゃないと思うな。

なかがわ

一般的なパフォーマンスではないと。パフォーマンスというには常軌を逸しているというか、傍から見ていると理屈にあわないみたいな。

でも、それだけのことをやっても日本は変わらなかった。

アンドレス

そう。僕の好きな漫画家の白土三平も、日本変わった方がいいってこと考えてた。彼は漫画作った。あと、自分の雑誌。

なかがわ

『カムイ伝』。あと『ガロ』。

アンドレス

『カムイ伝』あと『忍者武芸帳』とか。いろんなの作った。いつも一番下の人は運動して、何か変わるとか。

好きなの他のは、つげ義春。つげ義春は運動してないけど、つげ義春は田舎にいて、田舎の人はみんな消されてるから、田舎について、ふるさとについて漫画描いた。それもちょっと意味があると思った。

最後三島由紀夫やったこと、意味があるけど、Politics(政治)とめっちゃ全部はミックスしてるから、見るのは難しい。でも白土三平が作ったことはだいたいわかる。それは作った漫画はゆっくり見れるし勉強できるけど、三島由紀夫がやったことは…。

なかがわ

ようわからん、と。

近所のおばあちゃんが言った「三島はすてきな人」

ちなみに、アンドレスさんいわく、ある作家について話をするときに一定のイメージがあり、多少の差はあるけど大枠として大きなイメージの齟齬はないけど、一方で三島由紀に関しては、人によってその対象の捉え方が大きく違うと感じたという。

例えば、作品の好き、嫌いとは別のベクトルで、三島由紀夫のことをすごく擁護する人もいれば、徹底的に批判的な人もいる。

アンドレス

三島由紀夫は小説家けど、書いた小説より三島の人について話してる。例えば、東吉野村のご近所さんで、いつも「こんにちは」とか軽く挨拶を交わすお婆さんがいる。

でも先月、初めて、もうちょっとロングなconversation(対話)やった。そのおばあちゃんに、「なんで日本に来た」って言われたら、僕は切腹の興味あったから。それだけ言ったらそのおばあちゃんは、三島由紀夫知ってる? って。

なかがわ

まあ、切腹=三島由紀夫のイメージはたしかにあるかもしれない。

アンドレス

僕はちょっとびっくりして、三島知ってる?って訊いたら知ってるって。

あとは、三島由紀夫の文学好きですか?って聞いたら、そのおばあちゃんは、「三島由紀夫の文学好きやけど、それより三島は素敵な人」って。私は切腹についてのニューステレビで見たって言ってた。僕はそのとき何考えてた?って言うたら、そのおばあちゃんは、「三島由紀夫はすてきな人と思いました」って言われた。僕はえって。もっともっと知りたかったけど。


なかがわ

「すてきな人」って抽象的やけど、どういう意味で言わはったんでしょうね。

アンドレス

ちょっと言うてたのは、「その後、見られへん」みたいなこと。この日本のめっちゃ有名な小説家、急に切腹をした、ちょっとびっくりするでしょ?みたいなこと言ってた。

でも、「すてきな人」って言われたけど、まだ意味はめっちゃ広いから、もっともっと知りたい。どういうこと?って。たぶんそのおばあちゃんの世代の人は、80歳の人とか、でもその人の三島由紀夫のイメージと、今の若者のイメージは全然違う。

なかがわ

まあ、当時の三島はノーベル文学賞受賞も噂されるほどの一級の作家であるとともに映画とかにも出て、いわゆる有名人、スターみたいな存在でしたもんね。あとは東大全共闘とか盾の会とか、ある種スキャンダルな存在でもあった。

今の若い人は、あんまイメ―ジとかないかもしれへんけど。

アンドレス

船(=世界青年の船)に乗った友だちと話たとき、三島由紀夫読んだことないけど知ってるみたいな。

日本人は読書好きが多い?

日本人の学生と三島由紀夫について話したとき、三島の作品は読んでないけど知っているみたいな話が出たときに、

「最近の若い人は、まあ若い人に限らないのかもしれないけど、あんまり本読まなくなったからね」って話をしたら、アンドレスさんが、え、意外!? みたいな反応をした。

アンドレス

日本は、読む国みたいなイメージあるけど、どう思う?

なかがわ

例えば、月に5冊以上本を読む人とかはマイノリティで、やっぱ読んでる人はそんなに多くないと思うけどな。まあ、でもそれはそうで、スマホがあって動画見たり、SNSしたり、ゲームとかもあるし、その状況ではなかなかね。

昔の学生は今よりは圧倒的に読んでたといっても、それは教養として読んでたのもあるけど、娯楽というか、他に大したものがなかったから読んでた側面があって、スマホみたいなデバイスがあって簡単に動画とか見れたら、そっち見るやつが多いと思うよ。

アンドレス

そうなんや。

なかがわ

まあ、外国の人がどれだけ読書しているのかわからんから相対的に日本人が諸外国の人より本をよく読んでるのかどうかはしらんけど。

ちなみに、面白い話があって…って面白いこともないけど、柄谷行人ってわかる?

アンドレス

わかる、わかる。めっちゃ好き。

なかがわ

昔なんかの本で読んだんだけど、海外の文学者と話をしているときにドストエフスキーの話題になって、柄谷行人が全集を読んだ話をしたときに、「コウジン・カラタニは英語と日本語だけじゃない、ロシア語もできるんだね」って驚かれたって話があって。

でも実際はそうじゃなくって、日本は全部翻訳が出てるから。それだけ日本は翻訳が発達してるみたいな。


で、こっから柄谷行人の話でちょっと盛り上がって、そこからさらに歴史学者の網野善彦の話になったんだけど、話が広がり過ぎている感がなきにしもあらずなので、ここでは割愛。

でも、そこで出てきた「百姓」に関する話が興味深かったので、最後にちょっとだけ。

農家ではなく百姓

歴史家・網野善彦によると、百姓は「ひゃくしょう」ではなく「ひゃくせい」と読み、単に農民を意味するものではない、という趣旨の主張を繰り返し行っていた。

百姓とは

百姓は「ひゃくせい」とも読み、姓を「しょう」と読むのは呉音。百」は「たくさん」、「姓」は豪族が氏(うじ)の下につけた称号「かばね」のことで、古代において百姓は「もろもろの姓を有する公民」の意味であった。やがて、「一般人民」や「庶民」の意味となり、社会的身分と職業が相応するようになった中世頃より、百姓は農民の意味に固定していった。

出典:語源由来辞典


一方で、アンドレスさんいわく、若い日本人の友だちに、田舎の農村に住んでいる人のことをなんていうか聞くと、ほとんどの人が「農家」という。

アンドレス

でも、田舎の人はみんな農作業やってるわけじゃない。みんなはほんまに違う。田舎にダイバーシティがあるから、みんなは違うことやってるから、ほんとは「農家」じゃなく「百姓」という言葉使った方がいい。

なかがわ

家の畑しながら、どこかに勤めている人もいるし、田舎暮らしだけどいっさい農作業に従事していない人もいる。多様だと。

アンドレス

そう。それで、僕が住んでる東吉野村もCreative Villageにしようと言って、外部の移住者を受け入れている。僕もそうだけど。

そうしたときに、元からいている百姓の人たちはどうなるかなと思ってる。

なかがわ

新しい、若い人が来てくれるのはウェルカムな反面、これまでの自分たちの暮らしはどうなるねん、と不安になる人も出てくるみたいな。


移住者と地域の人が仲違いしているわけではない。

一方で、Creative Villageというお題目をかかげ、新しいことを村に取り入れていく中で、既存の人たちから「何かよくわからないことをやっている」的な批判が出ることは十分に考えられる。

アンドレス

村の人も、大歓迎の人もいれば、ちょっとそうでない人もいると思う。

なかがわ

よそ者がいきなり来てそういうことやられたら、もといた人はちょっと困っちゃうみたいなところが、その軋轢はあるよね。

アンドレス

うん。みんな(=移住者)はeビジネスみたいなことやりたいけど、それは自分たちの考えやけど、そのコミュニティの考えは理解してる? 実際は理解していない、その心配がある、この村はどうなる? あと、この村だけじゃない、日本の村の全部はちょっと消されてるみたいな。

なかがわ

よくもわるくも、あまりにそういうことが進んじゃうと、地域のコミュニティが画一化していくみたいなことかな。

アンドレス

一方で、違う村つくっても大丈夫って話もある。コミュニティの中に、新しいものを作って村を経営していくとかもOKって。

でも、心配もある。文学と切腹の研究と並行して、東吉野村で生活しながら、そういったことも考えていきたい。

なかがわ

そういう意味では、移住者ともとからいる地域の人との橋渡しをするような人がいて、お互いがプラスになるようなあり方を探っていけるといいですね。

まあ、実際にはいろいろ難しいこととかもあるのかしらんけど。

アンドレス

うん。僕もいろんな人に相談してみようと思う。

そんなアンドレスさんが日本に来てからのお話は3話目以降で。


アンドレスさんの半生part3に続く。

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